
アンタルヤ県に点在する、古代の民主主義連盟国リュキアの古代都市はまだまだあります。2回目の今回は、山中の要塞都市アリカンダ、アランヤにある古代都市シエドラ、気軽に泳げてしまう遺跡リミラ、水中に沈んだ遺跡シメナをご紹介します。
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Arykanda örenyeri(アリカンダ遺跡)
アリカンダ遺跡は、19世紀に入ってから、イギリス人研究家によって発見された遺跡です。リュキア連盟国の一都市とされ、港湾から遠く離れた陸の都でした。GoogleMapにも掲載されていない、秘密の遺跡、アリカンダとは?
アリカンダ遺跡の歴史
アリカンダ遺跡は、リュキア連盟国において最も古い町の一つ。北は崖に、東と西は急斜面になっていて、それらは天然の要塞として長くこの町を保護してきました。リュキアの主要都市は港に面していて、交易で経済的発展をしてきましたが、ここアリカンダは、陸路の主要道路に面していたため、陸の交易拠点であり、安全な宿泊場所であったようです。
最盛期は、2~3世紀頃、ハドリアヌス帝時代とされています。他のリュキア各都市同様、大地震とアラブ人の侵攻によってこの町は滅びます。
アリカンダ遺跡のハイライト
最も古い建物は、紀元前4世紀頃に建てられた太陽神ヘリオス神殿で、他の建物群は、おおむね2~3世紀頃の最盛期に建てられたものとされます。劇場では当時、スポーツや音楽コンサートなどを開催していたそう。
いくつかの店や、議事堂、モザイクの邸宅なども見逃せません。この町の水は、山からの湧き水を大通りの下を通して分配していたようです。斜面をうまく利用して建てられていて、どの建物からもパノラマビューが楽しめる設計です。アリカンダは、階段状のテラスと松と杉に上手に隠された防衛都市です。
冬期(11/1~3/31):8:30~17:30
※入場はいずれも30分前まで
Syedra antik kenti(シエドラ古代都市)
アランヤにほど近いシエドラは、眼下にアランヤの海岸線と家々と大地を臨める高台にあります。遺跡近くにある洞窟では、洗礼が行われていました。シエドラ遺跡とは?
シエドラ古代都市の歴史
シエドラがあるのは、標高400メートルの高台。町は、高台にあるアッパーヒルズと、その下に広がるローワーヒルズにわかれており、2つの集落は階段でつながれています。紀元前7世紀頃から存在していたシエドラの町。最盛期は2~4世紀頃とされ、ギリシャとの住民交換が実施された13世紀以降、この地は放棄されました。
シドラの民は、襲来した海賊に勇敢に挑み、ローマ皇帝から賞賛を受けたという歴史があります。西暦194年頃のことで、ちょうどこの直前に、この町に城壁がつくられ、住民の数は4500人ほどだったようです。
シエドラ古代都市のハイライト
最も重要な施設とされているのがスポーツセンターです。また、一部は屋根で覆われていたという「列柱通り」は、住民が集まる中心地。5つの貯水槽、神殿、ビザンチン教会、オリーブオイル製造所などがあります。いずれもローマ帝国時代以降のもので、それより以前のものは残されていないようです。
建物の一部は、モザイクで覆われてました。出土された碑文と一部の発掘物は、アランヤ博物館に展示されています。
冬期(11/1~4/14 ):8:30~17:30
※入場はいずれも30分前まで
Limyra örenyeri(リミラ遺跡)
リミラ遺跡は、比較的海岸に近いところにありますが、車移動が必要です。道路の北と南に広がる遺跡は、湧き水のためにプールのようになっていて、水着なら入ることもできます。リミラ遺跡とは?
リミラ遺跡の歴史
リミラは、ヒッタイト帝国時代にズマッリとよばれていた町。アンタルヤ県の海岸沿いの町フィニケから9kmほど東にあり、トチャック山の麓に広がる遺跡です。1970年代になってからオーストリア人の考古学者によって発掘されました。
この町は、アテナイの英雄ペリクレスがペルシャ人に戦いを挑んだ際、重要な戦略的拠点になった場所でした。最も繁栄したのはローマ帝国時代。町にはペリクルスやローマ時代の記念碑があります。8~9世紀頃、アラブ人侵攻にともない終焉を迎えた町の一つです。
リミラ遺跡のハイライト
山の麓に広がる劇場は、8000人ほどが収容可能でした。劇場の横には浴場があり、山側には400を超える岩窟墓が並んでいます。
道路を挟んで反対側は湿地になっていて、ローマ皇帝ガイウス・カエサルがリミラで亡くなった際に建てられた慰霊碑が建てられています。遺骨はローマまで運ばれました。
この地には、英雄ペリクレスのために建てられたへロヌ(祀る社:神社のようなもの)見つかっています。その他、リミラ遺跡で発掘されたものは、アンタルヤ博物館で見ることができます。
冬期(11/1~4/14):8:30~17:30
※入場はいずれも30分前まで
Simena örenyeri(シメナ遺跡)
シメナは、度重なる地震や地殻変動のため、本土部分・海中・ケコワ島の3つのエリアにわかれる珍しい遺跡です。シメナの城がある側は現在、Kare Köyü(カレ村)になっていて、陸路では行くことができない珍しい村なんです。
シメナ遺跡の歴史

カレ村
4世紀頃、ローマの博物学者プリニウスの記した書面に登場するシメナ。古代ルビア語で「聖なる母の国」を意味します。リュキア連盟の中でも小さな沿岸都市でしたが、現在は、“ケコワ特別環境保護地域”としてトルコ政府によって管理されている、重要な場所となっています。
地震による地殻変動の為、シメナの遺跡は、その半分が深さ4~5mの海中に沈んでしまいました。約300人収容の小さな劇場、貯水槽、神殿や教会、城塞が残されていて、特にネクロポリス(墓地)は、見る人の印象に残るシメナの遺物です。
シメナ遺跡のハイライト
まずはカレ村にある城塞へ。ここからの景色は必見です。向かいの大きな島ケコワ島、サチマ・クルシュン・パパズの3つの小島が見えます。海になっている部分は、元は陸地。ここに多くの遺跡が沈んでいます。
昔から陸の孤島だった為、一般家庭でも船を使って移動をしていた為、自宅内にプライベート桟橋があったそう。未だにカレ村は、海側からのみアクセスが可能な町。村の家々の敷地内でも、遺跡が多く見つかっています。
遺跡の中で、最も印象的なのは、ネクロポリス(墓地)。墓には、多数の碑文が残されています。写真は、水中に埋まった墓碑。地震により沈んでしまった場所であったことがよくわかりますね。必見です。
冬期(11/1~4/14):8:30~17:30
※入場はいずれも30分前まで
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