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現在のトルコ共和国の領土は、1922年9月に形になったものです。トルコを旅するなら絶対に切り離せない人、それがアタテュルクです。「アタテュルク通り」はあちらこちらにあります。肖像画も、銅像も、あらゆる場所に存在し、この国にとってアタテュルクという人がいかに大きな存在かを思い知ります。旅する前にぜひアタテュルクについて知っていただければと思います。

 

第一世界大戦、オスマン帝国は国土分割の危機に

1920年ごろのイスタンブール

第一次大戦後、衰弱したオスマン帝国の領土は、英仏ら連合軍の支配下に置かれようとしていました。首都イスタンブールには皇帝スルタンがいましたが、連合軍が占拠。エーゲ海沿岸もギリシャ軍が占拠し始めていました。
地理的に利用価値の高い国を、連合軍は各国でどう分け合うかを話し合い、まさに分割統治決定目前という追い込められた状況にあったのです。オスマン帝国は消滅し、このままではトュルク民族は国土を失うという状況でした。

帝国の要人はアンカラに集結

帝国政府の要人たちはアナトリア中央にある都市アンカラへ集結します。この時、スルタンを抜いた新政府勢力がアンカラに結集していたのです。その中心となっていた人物こそムスタファ・ケマルでした。そしてまさに今、この国を取りもどすための最後の戦いが始まろうとしていたのです。

イズミルでの大きな勝利が運命を

1922年8月30日。ムスタファ・ケマルが指揮したトルコ軍は、地中海沿岸の拠点であったイズミルをギリシャから奪還することに成功します。これには、「トルコには戦うことはできる余力がもうない」とふんでいた連合軍側は相当驚くべきニュースでした。特に、元々ギリシャの土地であったイズミルを奪還したと喜んでいたギリシャには相当な痛手。
ギリシャ軍はその後、10日ほどイズミルで抗戦したようですが、敢え無く撤退。
この勝利でムスタファ・ケマル率いるトルコ軍は、連合軍と協定を結び、現在のトルコ共和国建国へと運びます。

ムスタファ・ケマル・アタテュルクの意味とは?

自らを「私がトルコだ」発言をしたほどに、強いリーダーでした。本名はムスタファとだけで、その後、恩師にケマルと名付けられた為、「ムタファ・ケマル(選ばれし完璧な、の意味)」と名乗ったのだそう。
アタテュルクとは「トルコの父」という意味で、後々になって贈られた称号です。

アタテュルクの残した功績

トルコ人たちにとって、なにより尊敬すべきは、その強いリーダーシップでスルタンを国外追放し、民主主義国家トルコ建国を叶えたからですが、彼の功績はそれだけではありません。
・宗教を政治と切り離した政教分離政策の実施。
・現代トルコ語を生み出す。
※アラビア文字だったものを、西欧のアルファベット表記にも。

トルコ軍はいまだにアタテュルクの政教分離施策を見守っている存在で、それに違反するような政治を行えばクーデターを起こして国を守るという役割があるのだそうです。

アンカラにあるお墓が偉大さを象徴


アンカラには、アタテュルクが眠る廟があります。小高い丘の上にあって、アンカラのどこからでも見上げられるほどの大きさです。街を見下ろすように建っていることから、アタテュルクはいつも見守っている、ということなのでしょう。アンカラを訪れた際には、無料なので、ぜひそんな彼の功績を偲んで訪れてみると感慨深いものがありますよ。