
ヴァレンス水道橋は、ローマ帝国時代に築かれた、古く歴史ある水道橋です。ローマ皇帝がはるか東の地に築いた水道は、東ローマ帝国、オスマン帝国と受け継がれて、長い間城壁の外から水を供給し続けました。そのヴァレンス水道橋と、水道橋を囲むように建つ3つのジャーミィをご紹介します☆
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ヴァレンス水道橋(Valens Su Kemerler)
ファーティフの丘とベヤズットの丘の間にある水道橋は、Bozdoğan Su Kemeri(ボズドアン水道橋)とよばれていて、皇帝ヴァレンスが築いたことから、ヴァレンス水道橋とも呼ばれています。
123年ローマ皇帝ハドリアヌス帝によって築かれ、300年代半ば、皇帝ヴァレンスの時代にアーチ部分が築かれています。その後コンスタンティノープル陥落の際に破壊され、征服直後、水不足に陥ったことから、水道橋は修復され、再び日の目を見ることに。
水は、コンスタンティノープルの城壁の外からひかれ、ベヤズットの丘の地下にある貯水池、スレイマニエ・ジャーミィ、有名な地下宮殿を通り、トプカプ宮殿まで供給されていました。
夜のライトアップも雰囲気があっていいですよね。この橋の下を通る時、思わずカメラにおさめたくなります。

ファーティフ・ジャーミィ
コンスタンティノープルを征服し、イスタンブールをオスマン帝国の首都とした皇帝メフメト二世の命により建てられたジャーミィです。メフメト二世自身の霊廟も敷地内に併設。城壁のすぐ内側の聖域につくられた、イスタンブールで最古のジャーミィは必見ですよ。
シェフザーデ・ジャーミィ
スレイマン皇帝と皇后ヒュッレムの間に生まれた最初の子、メフメトのためのジャーミィ。オスマン建築を語る上で欠かせない人、ミマール・シナンの手掛けたジャーミィの一つです。腹違いで生まれた長男ムスタファを差し置いて皇帝によって後継者と認められていた皇子は、病により22歳で亡くなっています。
ゼイレッキ・ジャーミィ
コンスタンティノープルにあった東方正教会のなかでも、アヤソフィアに次ぐ大きさを誇った教会は当時、聖パントクラトール教会とよばれていました。オスマン帝国になってからジャーミィに改築され、ゼイレッキ教授が教えていたジャーミィであったことから、この名前がつけられています。
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