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サライデュズ兵舎ビル国立闘争博物館とコンベンションセンター | アマスヤ

公開日 2022年7月11日 最終更新日 2023年10月4日

概要
ムスタファ・ケマル・アタテュルク

トルコ建国の父アタテュルクは、没後80年経過した今もなお、トルコ人にとって特別に崇拝される存在です。アマスヤは、アタテュルクが建国するにあたって重要な決断をした場所です。その舞台となった建物は現在、アマスヤ市立博物館兼コンベンションセンターとして利用されています。館内には、重要な文書となった宣言書が作成されるまでの様子が展示されています。見学は無料です。

アタテュルクの決断とは?

第一次世界大戦後のオスマン帝国は、連合軍によってイスタンブールが占領される危機的状況でした。イスタンブールでは、各国の首脳が集い、「どの国がトルコのどの地方を統治するか」について、話し合いが持たれようとしていました。当時、帝国の高官であったアタテュルクは、オスマン帝国皇帝の命を受け、アナトリア東部帝国軍をまとめ上げるため、サムスンへ到着します。

アタテュルク像/サムスン

彼は複数の高官とともにアマスヤ入りし、トルコ独立戦争の開始を告げる『アマスヤ回報』をまとめあげます。

“国家の完全性と国家の独立が危険にさらされており、イスタンブール政府がその責任を果たすことができず、この状況により国家が消滅したように見える。国家の決意が国家の独立を救う”

Amasya Circularより

と記して全軍へと発信。つまり、諸外国の支配下に成り下がったオスマン帝国皇帝に服属することに異を唱えるとともに、独立戦争に向けての強い決意と行動を促したものです。そして、この後の独立戦争およびトルコ・ギリシャ戦争において、トルコ軍は驚愕の快進撃を果たし、最終決戦の舞台となったイズミルでギリシャ軍に勝利します。イギリス・フランス・イタリア・ギリシャによる、トルコの分割統治を回避することに成功し、ローザンヌ条約を経て、トルコ共和国建国となりました。

基本情報
住所Saraydüzü Kışla Binası Milli Mücadele Müzesi Ve Kongre Merkezi:Bahçeleriçi, Büyük Ağa Cd. No:3,Amasya Merkez,Amasya,Turkiye
営業時間8:00-17:00
料金無料
ミュージアムカード不可
その他情報
公式サイトhttps://amasya.ktb.gov.tr/TR-59514/sarayduzu-kisla-binasi-milli-mucadele-muzesi-ve-kongre-.html
アクセス中心部から徒歩圏内
[地図]
特典・クーポン

※この記事は、登録日(最終更新日)時点の取材情報を元に作成しております。実際に訪れていただいた際、スポット(お店)の都合や事情により記載してある記事の内容と差異があることがあります。どうぞご了承くださいませ。

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