【2023年10月最新版!】トルコにあるユネスコ世界遺産一挙ご紹介!

公開日 2022年9月1日 最終更新日 2023年10月13日

概要

トルコには、2023年10月現在、ユネスコ世界遺産リストに登録されている遺跡が21、登録を待っている候補が100超あります。さらに、メヴレヴィー教団のセマー、トルココーヒー、カラギョズとハジヴァット、エブルなどの無形文化遺産は15あります。その中から、ユネスコ世界遺産リストに登録されているをすべてご紹介します。

※ユネスコ世界遺産リストの日本語名は、2016年までのリストについて、公益社団法人日本ユネスコ協会連盟公式サイトを参照しています。

一覧
1.イスタンブール歴史地域(1985年)
イスタンブール旧市街

トルコで最初に登録された世界遺産は、1985年登録の3ヵ所で、そのうちの一つがイスタンブールの旧市街地区です。旧市街は、東ローマ帝国時代からオスマン帝国時代にかけての宮殿があった場所で、国の中枢だったエリアです。皇帝の住まいであるトプカプ宮殿のほか、スルタンアフメット・モスク、スレイマニエ・モスク、アヤソフィア・モスク、カーリエ・モスクなどの有名モスクやバザールなど、ローマ帝国からオスマン帝国の遺産が多数残されています。

2.ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群(1985年)
ギョレメ

イスタンブールの旧市街と並ぶトルコ観光のハイライトが、カッパドキアです。アナトリア大陸の中央に広がる奇岩地帯は「妖精の煙突」ともよばれる自然の創り出した傑作です。ギョレメ野外博物館などの岩窟教会では、奇岩内部に修道士たち描いた絵画が描かれていて、カッパドキア観光のハイライトとなっています。また、朝焼けに染まる奇岩群を一望できる早朝の熱気球ツアー、日本でも都市伝説として話題の広大な地下都市探索、洞窟ホテルへの宿泊など、この世界遺産でできることは盛りだくさんです。その他にもカッパドキアには、トルコ版ウユニ塩湖ともいわれるトゥズ湖やアヴァノス陶器など、観光スポットは尽きることがありません。

3.ディヴリーイの大モスクと病院(1985年)
ディヴリーイ

カッパドキアと同年に登録された世界遺産はあまり知られていないかもしれません。ディヴリーイは、セルジューク朝の皇帝アフメッド・シャーの時代に建てられた石造りのモスクと、トルコ最古の病院です。モスクの北と西にある門には、複雑かつ精巧な幾何学模様の彫刻が施されていて、わざわざでも訪れる価値があります。皇后トゥラン・メレッキによって建設された精神病院は音で人を癒す仕組みで、その後オスマン帝国にも引き継が割れる慈善財団(ワクフ)の原型とも見受けられます。イスタンブール、カッパドキアと並ぶ1985年に登録されたことが、ディヴリーイがいかに歴史的に価値が高いかを教えてくれています。スィヴァス県にはこの他にも、カンガル犬やドクターフィッシュ温泉などの観光地があります。

4.ハットゥシャ:ヒッタイトの首都(1986年)
ハットゥシャ遺跡

まだ謎の多い古代国家・ヒッタイト帝国の首都とされる遺跡は、中央アナトリアのチョルム市にあります。ハットゥシャの町は、頑丈な城壁に囲まれていて、当時は難攻不落とされていました。二重の城壁、100超の見張り台、3つの門がありました。中でも有名なのが南西にあるライオン門(写真)です。遺跡の北にある、神事が行われたとされる聖域には、野外の神殿も残されています。遺跡のあちらこちらに、戦士や楔形文字のモチーフを見ることができ、いずれも古代のユニークな彫刻・芸術として貴重なもの。発掘物の多くは、首都アンカラのアナトリア文明博物館が所蔵・展示しています。

5.ネムルット・ダー(1987年)
ネムルット・ダー

紀元前1世紀頃、コンマゲネ王国の王であるアンティオコス一世は、後世に自身の名を残す目的で、このネムルット山に墓と神殿を造らせたとされます。山の麓から、9トンもある岩石を2150mもある山の頂上まで運び、巨大な神々と王の彫像が建てました。現在は、度重なる大きな地震によって彫像は崩れ落ち、あちらこちらに頭部が散乱しています。東側テラスにある神殿が一番の見どころで、ネムルット山に行くなら、日の出を拝む早朝ツアーがおすすめです。朝が苦手な人用に、夕日ツアーもありますが、朝日に照らされる東側テラスを写真におさめることができるのは、早起きした人だけの特典です。

6.クサントス-レトーン(1988年)
クサントス遺跡

クサントスは、古代ギリシャ文明の国リュキア最大の都市で、レトーンは都市国家リュキアの聖地であったとされています。ヒッタイト帝国時代はアリンナとよばれていた都市で、篠原千絵さん著『天は赤い河のほとり』にも登場します。ヒッタイト帝国が滅んだ後も、国家として存続しつづけ、アケメネス朝、ローマ帝国などの支配を受けながらも、周辺にあった都市国家と同盟を結び、ビザンチン時代までその文化を受け継ぎ続けました。リュキア語の刻まれた碑文は、特に貴重な遺産とされます。また、女神レトーンとその息子たちに捧げられた3つの神殿も見逃せません。

7.ヒエラポリス-パムッカレ(1988年)
パムッカレ

「綿の城」を意味するパムッカレは、石灰成分を多く含んだ温泉水が、長い年月をかけて作り上げた石灰棚があります。元々は、ペルガモン王国軍の駐留地でしたが、ローマ帝国時代には「聖なる都」を意味するヒエラポリスとよばれる街になります。温泉が湧き出ていたことや、この特異な景色は、人々の憧れのリゾート地だったようです。西暦6世紀頃まで、ここヒエラポリスには重要な建物が次々と建設され、地震被害にあっても、その都度修復されながら、長期にわたって繁栄を続けてきました。訪れるのにおすすめな時間帯は夕方。この石灰棚に沈む夕日が絶景です。

8.サフランボル市街(1994年)
サフランボル

黒海地方にある小さな町サフランボルは、「サフランがいっぱい」という意味で、その名のとおり11~13世紀ごろまで、高級スパイス・サフラン貿易で栄えた都市です。なだらかな丘を利用した独特の家“コナック”は、水害を避けるように工夫されています。この伝統的なトルコ住宅は、黒海地方やアンカラなどの他都市でも、見ることができますが、特にサフランボルは、コナックを美しく見ることができる町として、世界遺産に登録されました。サフランボルは、宿やショップやレストランなどでの温かいもてなしに定評があります。

9.トロイの古代遺跡(1998年)
トロイ遺跡

映画『トロイ』やホメロスの叙事詩『イーリアス』の舞台で知られるトロイは、その物語を信じたドイツの考古学者シュリーマンによって発見されました。トロイには、約4000年の歴史があり、ギリシャ文明、ローマ帝国、オスマン帝国と、各時代の遺跡が層になり現在9層まで確認されているそうです。1870年にシュリーマンが発見して150年以上経った今でも、発掘は続けられています。望まれ続けていたトロイ博物館もようやく完成し、より一層注目が集まる遺跡です。

10.セリミエ・モスクと複合施設群(2011年)
セリミエ・モスク

セリミエ・モスクは、ブルガリアとギリシャ国境にほど近いエディルネにあります。エディルネは、オスマン帝国が三番目に首都とした都市です。セリム二世の勅令により、天才建築士ミマール・シナンが建てましたセリミエ・もスックは、シナン本人が「傑作」と語ったほど荘厳なドームを保有しています。神学校、バザール、時計棟、中庭、図書館などを含む複合施設になっていて、装飾にはイズニックタイルが贅沢に使われています。

11.チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡(2012年)
チャタル・ヒュユク遺跡

アナトリアの真ん中にある街コンヤの南には、チャタル・ヒュユクの遺跡があります。遺跡は、2つの丘から構成されています。東側の丘からは、紀元前7400~6200年ごろまでの、18層にもわたる新石器時代の住居跡が発見されました。農耕により定住するまでの過程の解明に役立つとされる貴重な遺跡です。当時の家屋は、屋根から出入りするようになっていて、家々は密集して建てられており、通りはなかったそうです。これらは、新石器時代の典型的な住居と考えられていて、今も発掘は継続して行われています。

12. ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地(2014年)
ウル・モスク

ブルサは14世紀初頭、オスマン帝国初の首都でした。後に、オスマン帝国の伝家の宝刀となる「モスクと複合施設(学校や病院、図書館、ハマム、神学校など)」は、ここから始まったとされます。ドラマやマンガで御馴染みの、慈善寄付(ワクフ)によって建てられて、身分に分け隔てなく利用ができるものでした。これらの施設は、トルコ語でキュッリエ(Külliye)といい、トルコ・イスラム文化の特徴の一つです。一方で、近隣の村・ジュマールクズックは、オスマン帝国建国当時の面影を残す貴重な村です。無形文化遺産の人形劇『カラギョズとハジヴァット』が生まれたのもここブルサから。それになんといっても、ブルサで生まれたトルコ料理は、どれも絶品です。

13. ペルガモンとその重層的な文化的景観(2014年)
ベルガマ(ペルガモン)遺跡

アレキサンダー大王の子らによって統治されていたペルガモン(トルコ語:ベルガマ)は、アラブ人に征服されるまで繁栄した都でした。アッパーとローワー2つの地区にわかれていて、当時の先端医療を施す施設や、世界最大の図書館などがありました。残念ながら、神殿などの貴重な建築物のほとんどは、ドイツのペルガモン博物館が所有していて、この地で見ることができません。それでも、トンネルがある古代の病院や、ロープウェイで登った丘の上にある急傾斜の古代劇場など、見所は多くあります。時間があればベルガマ博物館にも立ち寄っておきたいものです。

14. ディヤルバクル城塞とエヴセル庭園の文化的景観(2015年)
ディヤルバクル城壁とヘウセル庭園

ディヤルバクルは、チグリス川沿いにある肥沃な土地に造られた街で、新石器時代・紀元前9000年頃からの長い歴史を持っています。トルコで最大のクルド人居住都市は、知られざるクルド文化を知るに最適です。中心街を取り囲む城壁は、万里の長城に次ぐ世界第二位の長さを誇ります。その城壁から外には、緑豊かなヘウセル庭園が広がっています。この庭園の先には、チグリス川が流れています。肥沃な大地を利用した、民衆の為の農園になっています。ヘウセル庭園では、今でも野菜や果物やナッツ類などが収穫されています。

※ディヤルバクルには、レベル3【渡航中止勧告】が外務省から発出中

15. エフェソス(2015年)
エフェソス遺跡

エフェソスは、ギリシャ・ローマ遺跡の一つで、海が見える丘の上に築かれた港湾大都市でした。アジア州の州都であったエフェソスは、聖書にある”エフェソス信徒への手紙”や公会議が開かれるなど、キリスト教においても重要な都市の一つです。図書館や売春宿の広告、劇場、トイレなど、貴重な数々を見ることができます。広大なエリアに保存状態のよい建築物が残されていることから、トルコで最も観光客に人気のある遺跡です。遺跡近郊には、聖母マリアが晩年住んでいたという家もあって、巡礼者が絶えず訪れています。ランチには、セルチュク名物のケバブであるチョップ・シシがおすすめです。

16. アニの古代遺跡(2016年)
アニ遺跡の大聖堂

アニは、アルメニア国境近くにあって、アルメニアのバグラト朝の都として繁栄した都です。当時は、多数のアルメニア正教会が建設されていて、訪れた人を相当驚かせていたようです。保存状態はあまり良いとは言えないものの、今もアルメニア正教会群を見ることができます。アニ観光の拠点となるカルスは養蜂が盛んで、巣ごと食べられる巣蜜(コムハニー)が名物。加えて、トルコではとろけるチーズとして知られるカシャルチーズも、本当に美味です。アニの冬は長い厳冬なので、夏~秋ごろまでが訪れるのに最適です。

17. アフロディシアス(2017年)
アフロディシアス遺跡

アイドゥン近郊にあるアフロディシアスは、ギリシャ神話に登場する、愛と美の女神アフロディーテにささげた都市です。近隣には大理石の採石場があったことから、世界中から腕利きの彫刻人が集まり始めます。やがて、美術学校が創立され、当時、最高レベルを誇る彫刻品が多数産出されることとなります。遺跡に残された彫刻や建造物の保存状態の良さには、驚くばかりです。広い遺跡内に、競技場、講義堂などがきれいな状態のまま残されています。隣接するアフロディシアス博物館には、1世紀頃の彫刻が展示されています。

18.ギョベクリ・テペ(2018年)
ギョベクリ・テペ遺跡

ギョベクリ・テペは、1万2000年前の神殿跡です。現代の歴史年表で見ると、1万2000年前は狩猟生活をしていた旧石器時代であり、定住はしていなかった、とされています。しかしながら、この神殿跡が見つかったことで、1万2000年前には、すでに定住していた…つまり旧石器時代というのは誤った歴史ではないか、との専門家の見解が出され、世界中の考古学ファンを驚かせました。遺跡からは、サークル状の石組みと大きな石柱が複数見つかっていて、石柱には、動物モチーフの彫刻も見ることができます。発掘物は、シャンウルファの博物館が所蔵しており、世界中から考古学ファンや歴史家が押し寄せ、一気に人気観光地の仲間入りを果たしました。

19.アルスラン・テペの丘(2021年)
アルスランテペ遺跡

アルスランテペとは、トルコ語で”ライオンの丘”という意味で、2頭のライオンが丘の上にあったため名付けられました。1961年以降、フランスやイタリアの発掘チームが発掘調査を続けており、当初は、ヒッタイト帝国が滅亡した後に繁栄したネオヒッタイト帝国としての遺跡であるとされてきましたが、紀元前4,000年頃の神殿や世界最古となる宮殿や絵画、紀元前5,000年頃の住居、世界初となる銅合金の剣、王と思われる人物の墓などが発掘されました。”貴族が誕生し、最初の国家形態が初めて出現”したことや、銅石器時代から初期青銅器時代を解明する重要な遺跡として、今後の発掘にさらなる期待が高まっています。

20.ゴルディオン(2023年)
ゴルディオン古代都市

ヒッタイト滅亡後に台頭したフリュギア(フリギア)国の首都で、ギリシャ神話や「ゴルディアスの結び目」で知られるゴルディオンの遺跡は、アンカラ郊外にあります。紀元前740年頃の大釜などの発掘品はゴルディオン博物館が展示しています。博物館の向かいにある丘のように見える王墓は、「福耳」の持ち主で神々に愛されたミダス王のものとされますが、棺はまだ見つかっていないようです。

21.中世アナトリアの木造列柱モスク(2023年)
エシレフォール・モスク/コンヤ

大セルジューク朝(ルーム・セルジューク朝)の12〜13世紀ごろに建築された、アフィヨンカラヒサル、エスキシェヒル、アンカラ、コンヤ、カスタモヌに建てられた5つの木造モスクが「中世アナトリアの木造列柱モスク」として登録されました。

※この記事は、登録日(最終更新日)時点の取材情報を元に作成しております。実際に訪れていただいた際、スポット(お店)の都合や事情により記載してある記事の内容と差異があることがあります。どうぞご了承くださいませ。

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