世界一美しいモスク!? | ヤウズスルタンセリム・モスク

公開日 2021年10月29日 最終更新日 2023年9月6日

概要
ヤウズ・スルタン・セリムの丘/イスタンブール

ヤウズスルタンセリム・モスクは、金角湾がよく見渡せるヤウズセリムの丘にあり、世界一美しいモスクの一つと高い評価を受けています。ヤウズとは、冷酷な賢い人といった意味があり、第9代皇帝セリム一世に後世つけられた名で、壮麗王ともてはやされた第10代皇帝スレイマンの父君にあたります。ヤウズスルタンセリム・モスクには、霊廟、イマーレット、タブハーネが併設されています。イマーレットとは、救貧院のような場所で、食事や衣服を配ったり、寝泊まりすることができる施設です。現在は女子高として利用されています。タブハーネは、モスクの右側に併設されている建物で、教育を受け、宿泊可能な施設です。

ヤウズスルタンセリム・モスク/イスタンブール

セリム一世の命により建てられたのはモスクのみでしたが、のちにスレイマン皇帝が増築させ複合施設となりました。霊廟は全部で4つあり、セリム一世の霊廟、彼の妻でありスレイマン皇帝の母であるハフサ・ハトゥンの霊廟、スレイマン皇帝の子らの霊廟、アブドゥラメジト一世の霊廟が並んでいます。モスク内部は、壁、ミフラーブ、説教壇のすべては大理石で飾られ、イズニックタイルで彩られているモスクよりも、さわやかな印象を与えてくれます。このモスクは、オスマン帝国の宮廷建築士シナンが活躍する前に建てられたものです。

セリム一世について

セリム一世は、壮麗王と称された第10代皇帝スレイマンの父君にあたります。皇子の街アマスヤで育ち、第9代皇帝に即位します。即位するにあたり、皇太子であった兄を含むすべての兄弟たちを殺害して即位しました。オスマン帝国皇統の伝統となる“兄弟殺し”は、ここから始まったとされています。父帝の死も突然死であり、毒殺とみられているため、セリム一世が手にかけたのでは?と囁かれています。

イエニチェリ/軍事博物館・イスタンブール

そういった背景には事情と決断があったようです。黒海の東側にあるトラブゾンの知事であったセリム一世は、コーカサスや中東の情勢が手に入りやすく、不穏な情勢を父である皇帝に報告するも、皇帝も兄弟たちも応じませんでした。そんな彼を支援したのは、オスマン軍・イエニチェリです。イエニチェリは、父帝でも皇太子でもなく、セリム一世に味方したのです。軍という、強い後楯を得たセリム一世は、父帝が跡継ぎにと望んだ皇太子アフメドを含む兄弟全員を殺害。アナトリアの従わなかった者たちを従わせ、周辺諸国を平定させるため、虐殺も厭わなかったとされます。結果、オスマン帝国の基礎を築いた重要人物の一人となりました。彼がいなければ、スレイマン皇帝の安定した治世はなかったかもしれません。領土は、10年に満たない治世下で3倍に膨らみました。

セリム一世の功績は、領土拡大だけではありません。中東アッパース朝を滅ぼし、メッカを領土とすることに成功。イスラム教最高指導者“カリフ”の称号を手に入れ、ムハンマドの聖遺物をイスタンブールに持ち込みました。現在でも、その聖遺物はトプカプ宮殿が所蔵・展示しています。

ヤウズ・スルタン・セリム・モスク/イスタンブール

1520年、彼は息子スレイマンに、強くなったイエニチェリと、拡大した領土と内部紛争の耐えない政府を残して病死。ファティ・モスクで葬儀のあと、ヤウズスルタンセリム・モスクに葬られました。

ヤウズ・スルタン・セリム橋/イスタンブール

ボスポラス海峡に架かる3番目の橋となるヤウズ・スルタン・セリム橋が2016年に開通しました。「冷賢王」の名は、橋のほか、戦艦などにも採用され、広く国民から尊敬されている皇帝のようです。

基本情報
住所Yavuz Sultan Selim Camii:Balat, Sultan Selim Cd. No:18,Fatih,İstanbul,Turkiye
営業時間0:00-23:59
その他情報
公式サイトhttp://www.fatih.gov.tr/sultan-selim-camii
アクセストラムヴァイT5路線のフェネル(Fener)駅下車、徒歩5分
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