オスマン帝国スレイマン大帝時代の天才建築士!ミマール・シナン特集
公開日 2022年11月21日 最終更新日 2024年10月18日
概要
ミマール・シナンは、トルコ語で建築士シナンという意味です。夢枕獏さん著『シナン』や篠原千絵さんの漫画『夢の雫、黄金の鳥籠』に登場し、日本でも広く知られることとなりました。オスマン帝国お抱え建築士であり、天才建築家とされるシナンの歩んだ人生の物語は、トルコを旅する前に一読すると、トルコ旅行が一層楽しめます(たぶん)。
2018年に、没後430年を迎えたシナン。天才建築家が残した、数々の建築物の一部と、彼の成り立ちをまとめてみました。
シナンの人生
シナンは、現在の中央アナトリア地域、カッパドキアの玄関口であるカイセリ市のアーウルナス地区で1490年に誕生しました。今もシナンの生家が残されていて、観光で訪れることができます。シナンは子どものころ、「デヴシルメ※」と呼ばれる徴兵制度により、イスタンブールに連れて来られます。彼はこの教育課程で建築学・工学・数学などを学ぶこととなります。
第10代皇帝スレイマンのモルドバ遠征に同行した彼は、ウクライナ〜ルーマニア〜モルドバの国境沿いを流れるプルト川に、たった13日で橋を架けたことにより、スレイマン皇帝の信頼を得て、イエニチェリ(オスマン帝国軍)の主任建築士に昇進します。
以来、宮廷お抱え建築士となったシナンが生涯で建てた建築物は365あるとされます。その内訳は、92のモスク、52のメスジット(小モスク)、55の神学校、7つのダリュルクラ(コーランを暗唱する神学校のような建物)、20の霊廟、17の救貧院、3つの病院、6つの水路、10の橋、20の隊商宿、36の宮殿、8つの地下室、48の浴場です。
そのうち、200ほどはイスタンブールとその近郊の都市にありました。現代に残っているのは58ほどです。
シナンが最初に建てたのは、シリアのアレッポにある、ヒュスレビエ・モスク(Hüsreviye Camii)とされています。スレイマン皇帝時代、アレッポに赴任していた高官からの依頼で建築された複合施設です。ですが、複合施設の構造は、オスマン帝国(トルコ)伝統の建築であるため、近年、両国の関係悪化により、シリアがモスク以外の複合施設部分は破壊した、との残念な情報があります。
シナンは、スレイマン皇帝の愛娘であるミフリマーフを密かに愛していた、という噂がありますが、我が子のような年の差であったことから、真実は不明です。シナンは、1588年4月9日、イスタンブールにて、98歳という大往生で人生を終えました。彼は、最も長く仕えたスレイマン皇帝とその妻ヒュッレム、および、ミフリマーフをはじめとした家族が眠るスレイマニエ・モスクの片隅に、ひっそりと葬られています。
代表的なシナンの作品
イスタンブール
マルマラ海地域
中央アナトリア地域
※この記事は、登録日(最終更新日)時点の取材情報を元に作成しております。実際に訪れていただいた際、スポット(お店)の都合や事情により記載してある記事の内容と差異があることがあります。どうぞご了承くださいませ。