エディルネカプ・ミフリマーフ・スルタン・モスク
公開日 2022年8月9日 最終更新日 2024年10月18日
概要
ミフリマーフスルタン・モスクは、オスマン帝国第10代皇帝スレイマン一世の愛娘であるミフリマーフが、ミマール・シナンに建てさせたものです。霊廟、神学校、バザールが併設された複合施設です。
ミフリマーフ・スルタンの名前がつくモスクは、イスタンブールに2つあり、もう一つはアジア側のユスキュダルにあります。ユスキュダルよりもエディルネカプのほうが後に建てられています。
ユスキュダルのモスクは、1540年に建設を開始し、1548年に完成したミマール・シナンの初期の建築で、未熟さが残り、内部も光をうまく取り込めていない設計でした。ミフリマーフは光が少ないことについて、不満を漏らしたとされます。それを受け、1562年から1565年にかけて建設されたエディルネカプのモスクは、長方形に設計された内部がステンドガラスの窓で埋め尽くされています。
愛されたミフリマーフ皇女
このモスクがあるエディルネカプは、イスタンブールにある7つの丘で最も高い丘です。また、本来この場所には別の高官がモスクを建設する予定でしたが、ミフリマーフのために建設するよう許可されたものです。4つのアーチで支えられた大ドームや、窓が多く光が多く差し込むような設計は他のモスクにはない設計で、いかにミフリマーフが力を持ち、また、周囲に大切にされていたかがよくわかります。
多数の兄弟たちの中で唯一の女性であった彼女は、親兄弟のお気に入りであり、特別な存在でした。父であるスレイマン皇帝や兄皇子たちから多額のお小遣いをもらっていたとされ、さらに、先に亡くなった夫リュステム・パシャは倹約家で多額の財産を彼女に残したとされていることから、オスマン帝国の歴史においても、最も裕福な皇女であったとも言われています。
弟セリムの妨害
女性として最高の権力を持っていたミフリマーフは賢明な皇女とされますが、皇統を継いだ弟セリムはミフリマーフをよく思ってはいませんでした。このモスクの建設途中で父スレイマン皇帝が崩御し、セリムの治世となったとき、このモスクの建設継続が困難となり、2本あるはずのミナレットは1本となってしまったそうです。
モスクには霊廟が併設されていますが、ミフリマーフの霊廟はスレイマニエ・モスクにあって、ここには、ミフリマーフの家族が眠っています。
2つのモスクに隠された秘密
ミフリマーフとは、ペルシャ語で「太陽と月」を意味します。4月と5月の年に数日、一方のモスクの後ろから太陽が沈み、もう一方のモスクから月が昇る設計になっているとされています。これはミマール・シナンのミフリマーフへの愛ではないか、とジェンギズ・オズデミル監督の映画『建築と愛(Mimari ve Aşk)』で取り上げられ、話題となりました。
ミフリマーフが17歳のとき、結婚相手の候補はリュステム・パシャとミマール・シナンでした。彼女はリュステムと結婚しましたが、ミフリマーフとシナンの恋は本当にあったのか、50歳のシナンにとって彼女は妹や娘のように思える存在だったのか。歴史的文書の中には何も残されておらず、確たる証拠はないものの、映画は巷に大きな反響をもたらしました。
基本情報
住所 | Edirnekapı Mihrimah Sultan Camii:Karagümrük, Fatih,İstanbul,Turkiye |
営業時間 | 0:00-23:59 |
その他情報 | ー |
公式サイト | https://islamansiklopedisi.org.tr/edirnekapi-camii-ve-kulliyesi |
アクセス | トラムヴァイT4路線のエディルネカプ下車、徒歩5分 [地図] |
特典・クーポン | ー |
ギャラリー
※参照元:HABER TÜRK(https://www.haberturk.com/kultur-sanat/haber/206841-mimar-sinanin-ay-ile-gunese-emanet-ettigi-sir)
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