
ウラルトゥ王国の首都トゥシュパとヴァン城塞
公開日 2025年7月31日 最終更新日 2025年7月31日
概要

ヴァン市内にそびえ立つ岩山は、ウラルトゥ王国の首都トゥシュパの城塞(ヴァン城塞)です。

現ヴァン周辺の歴史は、紀元前3000年まで遡るといわれていますが、特に紀元前9世紀頃に栄えたウラルトゥ王国の首都トゥシュパ時代に黄金期を迎えました。

その遺跡が、この城塞一帯に残されています。 残念ながら、19世紀に起きたアルメニアの反乱(詳細)と第一次世界大戦により荒廃。残るは基礎部分や壊されたミナレットの根元部分のみ、といった状態でしばらく放置されていました。

残された遺跡は下記です。
・ウル・モスク(12世紀)
・クズル・ミナレリ・モスク(13~14世紀)
・ヒュスレブ・パシャ複合施設(16世紀)
・カヤ・チェレビ・モスク(17世紀)
・ホルホル・モスク(17世紀)
・アッバース・アー・モスク(19世紀)
・ミリ・アンバール(19世紀)
・スルプ・ジルヴァナロフ礼拝堂とスルプ・モスク(19世紀)

ですが最近になり発掘調査と修復作業が進められていて、ヒュスレブパシャ・モスクやホルホル・モスクはすでに修復され、一般公開されています。
ウルモスクやクズルミナーレモスクも復元作業中で、順次開かれるようです。公開が楽しみです。
ヴァン(トゥシュパ)城塞

ウラルトゥ王国は、アルメニア高原を中心に栄えましたが、首都トゥシュパはヴァン湖の東岸に位置していました。

ヴァン城塞(Van/tuşpa Kalesi)はこの都市の中心的な防衛施設で、岩山の上に築かれた堅固な要塞です。

城塞の岩壁には、ウラルトゥ王アルギシュティ1世などの碑文が刻まれています。また、城塞の周辺には王族の墓や神殿跡、貯水施設などが残されていますが、荒廃が進んでおり、素人目にはよくわからない状況です。

ということで。歴史や文化も大切ですが、やっぱり何よりも、城塞から見渡す景色がお目当て。ヴァンの街と湖。背後にある山々。晴れていたら、アララト山も見えるのだとか。

駐車場から約20分ほど坂道や平坦な道を歩いたと記憶しますが、がんばる価値があります。
ヴァン伝統的な家屋
城塞のすぐ脇にあるのが、古い石造りの家(Geleneksel Van Evleri)や、庭園風の庭、ミニ石橋などです。

2階建ての家屋は、1998年に、地元の名士が保有していた家を参照し、ヴァン市によって建てられた家屋です。
1階は主に洗濯や台所などの家事エリア。2階は内廊下(ソファ)とそれにつながる部屋で構成されていて、中を見学できるようです(知らなくて入らなかったです泣)。
ここの他にもう1か所、市内のこちらの場所にもあり、こちらの方が立派そうですが、内部の見学はできないようです。
ヒュスレブ・パシャ複合施設

復元された門の先にあるのは、16世紀にミマール・シナンによって建設されたヒュスレブパシャ・モスク(Hüsrev Paşa Külliyesi)です。1567年から1568年にかけて、ヴァン総督でありスレイマン大帝の宰相の一人であったキョセ・フスレヴ・メフメト・パシャによって建てられました。

霊廟、ハン(隊商宿)、神学校、浴場、救貧キッチンなどが併設された複合施設です。 見どころとしては、トルコで唯一となる黄金のミフラブです。

モスクはアルメニアの反乱の際に甚大な被害を受けましたが、2007 年から 2013 年にかけて大規模な改修工事が行われ一般公開されています。
カヤチェレビ・モスク

ヒュスレブパシャ・モスクを過ぎて、その先にポツンと建つのが、カヤチェレビ・モスク(Kaya Celebi Camii)です。建設は1660年にカヤ・チェレビザデ・コチ・ベイによって開始されましたが、コチ・ベイが処刑された後、ジェム・デデモウル・メフメト・ベイによって1663年に完成しました。

ヒュスレブパシャモスクと似ていますが、モスク単体で建っていることや、ドームの作りで見分けられそうです。
オールド・ヴァン・クズルミナーレリ・モスク
赤いミナレットのモスクを意味するクズルミナーレ・モスク(Eski Van Kızıl Minareli Camii)。スィナニエ・モスク、または、テブリズカプ・モスクともよばれます。

ミナレットはセルジューク朝時代に、建物はオスマン帝国時代に建てられましたが、オリジナルの建物は残っていません。いつ誰によって建てられたのかは不明なのだそう。

ちなみに、もう一つの塔は、オールド・ウルモスクのミナレットです。現在どちらも修復中で、モスクは復元されつつあり、写真はいずれも修復前です。

ちなみに、新クズルミナーレリ・モスクは、城塞の先にあります。
写真中央の箱のような建物はホルホル・モスクで、修復され現役の礼拝所になっています。
写真右側手前の塔は、オールド・ウルモスクで、こちらも復元作業が行われています。
ご覧のように、ただただ荒廃した跡地のみでしたが、続々と復元されて見応えがあるスポットになってきています。
【参考】古代アルメニア歴史の簡単メモ

トゥシュパとは?
ウラルトゥ文明の政治・宗教・軍事の中心地であり、後のアルメニア文化にも影響を与えた、歴史的に重要な都市です。
ウラルトゥ王国とは?
紀元前860年頃〜紀元前585年頃、アルメニア高原を中心に栄えた王国で、ウラルトゥ語を使用。ウラルトゥの神ハルディを信仰。アッシリアと激しく争いました。首都はトゥシュパ(現在のヴァン城塞周辺)で、スキタイ人やメディア王国の侵攻により滅亡。
アルメニア王国とは?
紀元前190年〜西暦428年に、アルメニア王国が勃興。ウラルトゥの文化を継承しつつ、アルメニア語を公用語とし、301年には世界初のキリスト教国に。ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアの間で分割され、王制は428年に廃止。
その後の悲劇についてはこちら。
基本情報
住所 | Van Kalesi(Eski Şehir):Mahallesi, Merkez ,İpekyolu ,Van Türkiye |
営業時間 | 8:00-19:00※チケット購入は18:30まで。 |
料金 | 3€ |
ミュージアムカード | 不可(外国人) |
その他情報 | ー |
公式サイト | https://www.ipekyolu.bel.tr/ipekyolu/gezilecek-yerler/eski-van-sehri/14 |
アクセス | 空港・ヒルトンホテルからタクシー15分。または市バス325-336系統に乗車(日曜運休)。 [地図] |
特典・クーポン | ー |
ギャラリー
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